アナルコ・キャピタリズム研究(仮)ブログ

★無政府資本主義 ◆リバタリアニズム ■色々 ▼ロンドン生活

スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

- | - | - |

「金融機関は時に税金で救済しなければいけない」は本当か?「金融システム」が「公共財」とはどういう意味か?

再び金融日記より。日航救済に関する前回の記事は「見えないもの」を本当に見事に示してくれたが、「金融システム」救済に関する今回の記事はリバタリアンからすると決して落ち着いては読んでいられないものだ。

だが今回の藤沢さんは経済学の教科書をわかりやすく説明してくれているだけである。いつものように生き生きとした調子で、味気のない教科書をおいしく食べられるようにしてくれている。ちょっとぐらい教科書的に微妙な味がしても問題ではない。

さて記事では銀行を救済すべき理由として「公共財」「取り付けの予防」「システミック・リスク」の3つが挙げられている。そしてこれらはどれもが正しいようで、同時にどれもがおかしく感じられる。藤沢さんにはいつも同意することばかりなので(特に恋愛工学)、かえってこの記事内容はじっくり検証してみる価値がある。

この良質な記事は逆にそこから誤りを効率的に引き出せるためにリバタリアニズムの理解に大いに役立つ。というのも公共財についての認識は通常の経済学者あるいは控えめなリバタリアンとアナルコキャピタリストを切り分ける最も重要なポイントだからだ。もっともこのようなことになった大きな原因の一つはあのハイエクなのであるが。とても残念なことに公共財の誤謬についてはハイエクでさえ積極的に論じなかったのだ。

たしかに金融機関とりわけ銀行がない資本主義社会を想像することは難しい。しかし同様に銀行が公共財であるということを示すのも難しい。そもそも公共財という概念自体が誤りの連鎖を引き起こしていくというのが、多くのアナルコキャピタリストに共通する考えである。私はシカゴボーイであり、すなわち主流派の経済学を学んだ者であるが、公共財概念を広く伝播した大御所サミュエルソンがA級戦犯経済学者であるとのオーストリア学派の見解にまったく賛成する。

財のある性質を「公共財の性質」として定義してみることは問題ない。ある財がその性質、すなわち非排除性や非競合性をもつかどうかを調べてみるのも結構である。しかし公共財の性質があるからといっていつもそれを政府が供給すべきだというのは全く致命的な誤りである。最もベタな例を挙げるならラジオである。それは広告といっしょになることでうまく私的に供給されている公共財である。

現実的可能性の無さから普通の人はそれを想像してみることもないだろうが、警察も下水道もすべて民間によって供給されるべきだと考えるのがアナルコキャピタリストである。自由市場はあらゆる工夫によってフリーライドを排除する仕組みを作るだろう。そのために「公共財」が私的に供給されている現実の例をたくさん持ち出してみたりする。

とにかく非排除性や非競合性があるからといって「無能(X非効率)政府」の「強制力(課税)」を肯定するのはとても馬鹿げている。それよりむしろ公共財というものは存在しない、あるいは神話であるとして最初から切り捨てたほうがよいと考えるのがアナルコキャピタリストである。そういうわけで私にとっては、以下のような藤沢さんの教科書通りの説明は最初から突っ込みどころ満載ということになる。

・まず公共財と言うのは警察や下水道のようなモノです
・もうちょっと言うと個別の金融機関ではなく「金融システム」が公共財なのです
・経済学では、このように非排除性と非競合性を持つモノやサービスを公共財と言い、民間でやってもうまく行かないので税金を使って国が運営した方が効率がいいことが分かっています
・やはり個別に料金を請求できないものは民間でやることは難しいのです
・このような金融システムの対価を利用者に直接負担させるのは難しいでしょうが、誰もが利用できます
・金融システムには警察や下水道のような非排除性があるのです
・また、金融システムは何人が使おうがあまりコストが変わらないので非競合性もあります
・金融システムは結果として警察や下水道と同じように社会の公共財になっているのです
・だから、金融システムが崩壊しそうになっている時は税金を使ってでも、国民全体の利益のために守らないといけないのです

そもそもを言えば私には藤沢さんの言う「金融システム」が何を指しているのかわからず、これを含めて話についていけなかった。あと非競合性について少し指摘しておくと、警察がある場所を手厚く警備すれば、ある場所の警備は手薄になるはずである。また下記の記述については以下のような指摘ができる。

・金融機関が提供するサービスの一部はこのような公共財の性質を多分に持ち合わせているのです
・もちろん、金融機関はそう言うことをボランティアでやっているわけではなく、そう言った社会のインフラストラクチャーの上で他の金融サービスで大儲けできるから、そう言った公共財的な部分も必然的に構築されて来たわけです

(正の)公共財とは正の外部性である。何らかのサービスの「一部」が公共財の性質を持っていることはむしろ間違いない。一般的に言って何の外部性をもたない行為というのは見つけるのが難しいのだ。何かのサービスを生産しているうちに意図せず公共財が供給されるケースは多々ある。

このように教科書にある公共財の理論をそのまま「金融システム」に適用し、また政府の介入を認めるというのは色々とおかしな議論である。とにかく公共財の議論で重要なのは外部性それ自体は政府介入の根拠にならないということである。あくまで政府を含めた全体の効率性を考えるのが正しいのだ。このことは何度でも繰り返して唱えたいむしろ標準経済学からのメッセージである。

「取り付け騒ぎ」および「システミック・リスク」については、中央銀行制度つまり政府の独占に起因するリスクの問題だとしてまた別の機会に論じてみるかもしれない。


関連記事

★公共財の私的生産(翻訳)
http://anacap.jugem.jp/?cid=76

公共財理論の誤り――民主主義という失敗
http://anacap.fc2web.com/PublicGoodsFallacy.html

アナルコ・キャピタリズムはどう機能するか(翻訳)
http://anacap.fc2web.com/HowWouldItWork.html

経済学のシカゴ学派
http://anacap.fc2web.com/ChicagoSchool.html

★自由貨幣論
http://anacap.jugem.jp/?cid=77
★公共財の神話 | comments(0) | trackbacks(0) |