アナルコ・キャピタリズム研究(仮)ブログ

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いくら胸糞が悪くとも児童ポルノが合法化されるべき理由

1.結論

自民党の都議選大敗・衆院解散に伴って、ほとんど偶然的に改正児童ポルノ法も廃案になりそうだという。あるいは日本のマンガ文化を世界に誇る首相が、この法が結局自分の首を絞めることに気付いたために解散することを決めたのかもしれない。

児童ポルノ単純所持禁止のような大元を断つような法は弊害が大きい。改正法のスケールの大きさから、それを例えるなら原子力発電所が危険だからといって廃絶するようなものである。

世の中には色々目にしたくないものがあるものである。これは人の趣味が多様であることの結果である。日本の漫画・アニメ・ゲームが世界的に人気があるのはその自由さ・多様さのゆえであるが、それは必然的にひどいものを含むことを意味する。

金目当てで子供を売る親がいる。だがそれがけしからんといって児童ポルノあるいは児童売春を禁止するのは本当に馬鹿げている。身体提供の強要(財産権の侵害)があればその関連法で裁けばいいのである。他人の子供をその親から守るというのはとてもコストがかかることだが、われわれ納税者はそういう法のためにすでに多くを支払っているのである。

さて改正法は廃案にされて当然のひどい悪法だが、偶然に(ぬか)喜んでおしまいというのではなく、むしろこれに乗じて児童ポルノ法そのものの廃止を訴えていくべきである。以下にはその純粋な経済学的論理を書いた。これは別にリバタリアンとしての主張ではない。単に経済学者として実にあったりまえな意見を言っただけである。これは勘違いされるといけないのでぜひ最初に断っておく。

この論理は児童ポルノのみならず、他の多くの「道徳的な」問題に当てはまる。ある財たちはその使用者に快楽を多くもたらすことが確実である。しかしそれらは様々な理由で他人を不快にさせる。不快さの原因は「外部への悪影響」や「犯罪誘発の危険性」といったことや単純なグロテスクさだったりする。人を不快させるということは何らかのコストを他人に押し付けているということに間違いはない。しかしだからといってそれらの財が禁止されるべきだということにはならない。なぜならそういうコストを大幅に上回る利益があるからである。

2.経済分析

「不道徳」な財のまわりでは非常な大金が動いている。多くの人にとって価値の高いものだからである。巨大な需要がある。これはいいかえれば支払い意思額の総額がとてつもなく大きいということである。

いっぽう、これらを生産する費用が当然にある。価格の上には莫大な消費者余剰があり、価格の下には生産者余剰がある。2つの余剰の合計が総余剰であるが、市場が合法化され、またその市場が課税その他の規制から完全に自由になるとき、それは最大化される。

「不道徳財」市場には多くの消費者と生産者がいて、とても大きな利益を交換から得ている。この利益の大きさゆえ、この市場を完全につぶそうとすることにはとてつもないコストがかかる。

まず消費者が失うものがある。つぎに生産者が失うものがある。たとえば児童ポルノの生産者というのは大部分がモデルをする女の子たち(あるいはその親)である。そして最後に納税者が失うものがある。

3.法のコスト

市場がブラックマーケット化すると費用の上昇から消費者も生産者も得られる利益が小さくなる。この費用の上昇というのは逮捕され刑罰を受けるコストを反映している。こんな危険なことをするのは安い給料じゃ割に合わない。つまり人件費が高騰するのだ。他には輸送費の上昇もある。こんな危険物を運ぶなんて大金をくれるのでなければとても割が合わない。ここでもやはり逮捕のリスクが勘案される。ここで彼らが刑務所に入れられて失うものとは、彼らが刑務所の外で得たであろうものである。この他逮捕を防ぐために支払うあらゆる費用が生産費用に乗せられるのだ。

以上は禁止される側のコストであった。いっぽうで禁止する側のコストがある。それはまず警察取締りのコスト、次に裁判に関わるコスト、刑務所に関わるコストである。大きなものはやはり人件費だ。これらを支払うのは納税者であり、これには規制推進派はもちろん、規制反対派、さらにはどうでもいいと思っている中立派まで含まれる。費用とはすべて機会費用のことである。これは言い換えればその金で他に何が買えたかということである。その使われた税金で医療や教育・福祉を充実させることもできたのだ。

以上は禁止によるコストであった。コストとは失われるもののすべてである。これは結局、誰が損するかというのを考えればいい。上で挙げられたものの他にもコストは考えられる。コストとはデメリットと言ってもいい。

4.法の利益

つぎに禁止によって得られるものを考える。これは禁止によって誰が得するかということである。まずは禁止しようとした人たちそのものであろう。禁止によって正義が果たされたと思う人たちである。これが一番大きいものだろう。どれぐらい価値が大きいかは彼らに聞いてみないとわからない。この大きさは、発生する害悪の総量に関する彼らの主観的予想、またそれが誘発される主観的な確率と大きく関係するだろう。いずれにせよ利益とは彼らの不快が取り除かれることである。

他にはたとえば児童ポルノが禁止されることによって得するのはその代替財生産者だ。これは主に18歳以上ポルノの生産者などであろうが、意外なのはこれに児童売春の生産者まで加わるということである。児童ポルノ禁止は児童売春の生産者にとって朗報なのである。これはもしアイスクリームが禁止されればジュース生産者が喜ぶだろうというのと同じだ。(なお代替財の価格上昇によってその代替財の消費者までが被害を受ける。)これらは無視できない外部的な影響である。

以上は禁止による利益=ベネフィットであった。ベネフィットとは得られるもののすべてである。これは結局、誰が得するかというのを考えればいい。上で挙げられたものの他にもベネフィットは考えられる。ベネフィットとはメリットと言ってもいい。

5.コストベネフィット分析

コストベネフィット分析はこれらのコストとベネフィットを比較することである。コストよりベネフィットが大きければその政策は採用されるべきである。ベネフィットよりコストが大きいならその法は廃止されるべきである。

どんなものについてもコストベネフィット分析を行なうことができる。我々はいつもメリットとデメリットを考えて行動するし、その原理を企業経営や社会政策に当てはめることに反対する人もあまりいない。

私は児童ポルノだけでなくエロゲーム・エロアニメや大麻などについても上述のようなコストベネフィット分析を行なった。その結果、これらの禁止法は得られるものより失うもののほうが圧倒的に大きいことがわかった。そしてこれは法が廃止されるべきであるという結論を出したということである。

6.法の売買

コストベネフィット分析は次のようにも言い換えられる。ある法について、それが廃止されることにはコストと価値が発生する。廃止の価値とは廃止派が廃止のために支払う用意のある金額の総和である。いっぽう廃止のコストとは廃止反対派がそれを取り下げるために支払う用意のある金額の総和である。

これは法の取引と言ってもよい。支払い意思額で廃止派が廃止反対派に勝つなら法は廃止されるべきである。それが効率的である。これはもし金銭取引ができるなら、負けたほうが補償されるということでもある。

簡単な2人ゲームを考える。あなたは隣人が大麻を吸わないという取引に月々いくらまでなら出すだろうか?彼にいくら払うか?ほとんどいくらも払わないだろう。逆に隣人は大麻を吸ってよいという取引に毎月相当なお金を払うだろう。これはあなたに対し大金を与えるということだ。

児童ポルノやその他のエロゲーム・エロアニメ・エロマンガについても同じことが言える。一般的に言って、いわゆる被害者なき犯罪というのは、あるいは快楽禁止法というのは、このように支払い意思額に大差があるために非効率なのである。結局彼らは見たくないものを無理に見せられているわけではない。

ちなみに法律が民間市場で生産されるリバタリアン社会では、まさにこのために法律が大きく自由のほうに傾くのである。自由な法の方がよく売れるということだ。そしてこれが(帰結論的な)正義ということである。

7.犯罪誘発の可能性

けっきょく規制派の論拠は犯罪誘発の可能性ということしかなくなる。要するに他人に危害が与えられることにつながるというのだ。そのために法=公共財を納税者の金で生産しよう。その生産にかかる巨大な費用はすでに見たとおりである。

われわれはまず自分の身は自分で守り、自分の子供も自分で守り、それができないときは配偶者に頼み、それができなければ親族あるいは近所の人に頼み、それでも大変なら警備会社や警察に頼んでいる。法執行のために裁判所や刑務所も用意されている。

規制派の人たちはきっと自分や他人の子供を他人に守らせたいが、警察その他の政府が信じられないという人たちなのであろう。その気持ちはわかる。だがわれわれはすでに多くの犯罪防止の仕組みをもっており、それらにたくさんの税金を払っているのだ。

けっきょく犯罪誘発の可能性ということならどんな法律でも通ってしまう。どんな財でも人に影響を与えずにはおかないのだ。とくに暴力好きな人間に酒を飲ませるのは危険であろう。だがわれわれは賢くも禁酒法を採用していない。

つまりそれは結局航空機の100パーセントの安全基準として飛行機禁止法を作るのと同じことをしているのである。あるいは部屋に蚊が飛んでいたからといって家全体を爆破するようなものである。まったくコストと利益が勘案されていないのだ。こういった行為はさすがにアホとしか言いようがないものである。

8.結論の確認と一つの注意点

こうしてわれわれは児童ポルノ法は廃止されるべきであるという結論を得る。少なくともお酒やタバコ同様、それを禁止するより合法化して課税したほうがいいのは明らかであり、これが政治的な妥協点としては採用されるべきものだろう。

最後に重要なことを一つ。それは、これらの「不道徳財」規制反対派はすべての「不道徳財」規制に反対しなければいけないということである。つまり大麻合法化論者が児童ポルノに反対してはいけないのだ。なぜなら自分の推す合法化論の有力な論拠をいっしょに捨ててしまうことになるからである。

(終わり)
◆不道徳な財と非効率な法 | comments(2) | trackbacks(0) |