アナルコ・キャピタリズム研究(仮)ブログ

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差別がないという地獄 その4

Hoppe, Uncertainty and Its Exigenciesの翻訳続き。

■医療カルテル

政府による規制は混乱の一要因にすぎない。FDA(食品医薬品管理局)とAMA(アメリカ医師会)にも大きな問題がある。どんな医薬品にも許認可を要求するFDA・厚生省は廃止されなければならない。これらは生産と流通を遅らせ、生産コストを上げ、それゆえ不必要な高価格と不必要な死・苦痛をもたらしている。

保険規制と医薬品認可だけではない。すべての福祉国家で医学部・病院・薬局・医師・その他の医療従事者が厳しい免許制度になっている。これは例えば医師の供給がシステマティックに制限されているということである。医療産業はカルテル、すなわち供給の制限と高価格維持をずっと試みてきた。アメリカ医師会は政策的意見を統一し、また労働をカルテル化している。

医師会が労働カルテルに使ってきた道具が医学部設置の許認可制度である。医学部志望者はたくさんいるのに定員は少ない。市場が自由ならば新しく学校ができるだろう。多くの医学部浪人が生まれるのは学校設置が違法になっているからである。それどころか現役医師たちはその定員を充足させまいともしているのだ。新しい医学部の設置を「合法化」するだけで、あっという間に医療サービスの供給は増加し、価格は下落するのである。

新しい医薬品と医師の質はどうなるか。政府による強制的な免許制度に代わって自発的な認定機関が市場に現れる。そういう機関による認定が、評判を求める医療機関にとって、また安全を求める市民にとって役に立つ。高いレベルの医師は厳しい認定機関に評価を依頼し、市民は予算の中で最高格付けの医師を選ぶだろう。

そのようなオープンで競争的なシステムは安全性に問題があると考えるかもしれない。だが次のようなアナロジーで説明されるだろう。「見てよ、あのおんぼろシボレー。安全性も快適性もあったもんじゃないね。皆が最高のものだけを消費するという社会目標からはまったく程遠い。僕らはすべての車がBMWやベンツの水準になることを主張しなければいけないだろう。」だが市場に高級車しかなければ、ほとんどの人が歩くか自転車を使うことになろう。しかし現実に、(われわれが通常必要とする)費用のかからない小さな病気を見るためのシボレー医師は違法であり、メルセデス医師のたいした訓練のいらない医療に高いお金を払っているのである。

(終わり)
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差別がないという地獄 その3

Hoppe, Uncertainty and Its Exigenciesの翻訳続き。

■政府による保険の規制

連邦レベルあるいは州レベルでの保険規制・義務化の例はゴマンと挙げられる。49州でアルコール中毒を、また27州でドラッグ中毒を保険の対象とすることが義務付けられている。また他に保険適用となるものとして整体(45州)、足病(37州)、心理カウンセリング(36州)、社会福祉士によるサービス(22州)がある。

ジョージア州では心臓移植、イリノイ州では肝臓移植が、カリフォルニア州では結婚相談、バーモント州では牧師カウンセリングが、マサチューセッツ州では精子バンクが保険カバーされる。12以上の州でエイズに関する質問がされない。ワシントンDCでは保険購入者のHIV検査が禁止されている(これなど家を燃やした後に保険加入して費用を請求するようなものだ)。

カリフォルニア州では遺伝的な差別が禁止されている。鎌状赤血球症はほぼ黒人のみに見られ、テイ・サックス病は大部分がユダヤ系であるのにだ。遺伝子の差異に関する研究は飛躍的に進歩しているのに、保険会社はそれを利用することができない。

このような規制は保険会社にとってメリットもある。彼らは本来保険不可能なリスクをカバーすることで保険料を上げることになるが、「差別的な」保険会社との競争を免れることができるのでその高価格を維持できる。しかし価格が上昇するにつれ消費者は市場からドロップアウトすることになる。低リスクな人にとっては保険料が異常な割高になるからだ。これは政府の干渉によってかわいそうな落ちこぼれが生まれているということである。

人々にとって保険に加入しないことはますます合理的な選択になっている。保険に入らないことはリスキーなことであるが、不摂生を促すような保険、さらに自分たちは対象にならないとわかっている保険に、健康な若者が高い保険料を払うのは馬鹿馬鹿しい。

繰り返して言うが、政府の干渉がこのような混乱を引き起こしたのである。保険会社は「正しく差別する」ことができないために、本来カバーすべきでないものを保険することになり、それによって価格が上昇し低リスクの人たちがはじき出され、さらにそのことが価格上昇をもたらすという悪循環になっているのだ。

だがここで話は終わりではない。今、合衆国は「落ちこぼれを出すな」と健康保険を強制しようとしている。もしこれが実行されると保険料は急激に上がるだろう(訳者注:逆選択排除による価格下落効果よりも需要強制・産業保護に伴う価格上昇効果のほうがはるかに大きいということだと思われる)。この次には何が来るか。価格統制である。そしてこれが急激なサービスの不足を引き起こし、カナダのように治療のために1、2年の順番待ちが必要になるという事態になるのだ。

医療サービスの供給はますます政治化されるだろう。エイズなどは治療を要する「良い病気」となり、タバコなどは治療の必要がない「悪い病気」となる。そして悪い病気にかかった人はどうぞ死んでくださいということになるのだ。

政府の干渉主義の行き着く先はどこだろうか。それは個人の無責任・近視眼的行動であり、危険な行為の蔓延ということである。

(続く)
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差別がないという地獄 その2

Hoppe, Uncertainty and Its Exigenciesの翻訳続き。

■保険の制限

保険グループ内で個人は「同一」でなければならず、保険事故は予測できない事故という形で起きなければならない。ではどういう保険が「不可能な保険」といえるのか。結果につながる要因が何か部分的にでもわかっていればそれは保険できないし、ある個人が結果をコントロールできる場合も保険はできない。

つまり個人の行動によって影響を受けない、あるいは個人でコントロール不可能な場合にのみ保険は可能である。たとえば自然災害は保険可能である。しかし自殺が保険適用となる生命保険会社はつぶれるだろう。同じ意味で自宅放火を認める損害保険会社もない。

失業保険はどうか。この場合「保険」というのは言葉による巧みなごまかしである。上司に言いたいことを言えばクビになるし、無給でいいならどこでも雇ってもらえる。結果は個人責任の関数になる。健康保険はどうか。たとえば朝気分が良くなくベッドから出られないというリスク。そんなものをカバーする保険はない。ビジネスの失敗も保険対象にはならない。経営者は何らかのコントロールができるからであり、雷が落ちるわけではないのである。

病気についても偶然な事故といえるような場合は保険可能であるが、大部分の健康問題は個人の責任に帰すものである。健康保険と医療改革に関する論争では必ずそういう「保険できないもの」があるという事実が見落とされている。1922年例外的にミーゼスが人間の意志と健康・病気が不可分であることを正しく指摘しているぐらいだ。

話を戻すと、ベッドから出れないことを保険すれば人は仮病を使うだろうということだ。保険会社はそのカバー範囲を厳しく制限しなければならないだろう。これはたとえば新しく発見されたリスクなどもカバーできないことを意味する。また「実費加算方式」などもありえない。家が焼けたからといってより大きい家を立ててくれるわけではない。そこにきてメディケア(高齢者医療保険)やメディケイド(低所得者医療保険)は医者が必要だと言いさえすれば自動的に出費がカバーされる。

また利便性からいって保険は一般的に現金で下りるだろう。特定の業者・機関のサービスが「現物支給」されるのは便利でない。さらに保険の規模は似たような人たちの小さいグループに制限されることになろう。

以上が自由市場における保険のあり方である。ここから考えると現在の制度がいかにいびつなものかわかる。異なるリスクグループをいっしょのプールに入れ、保険すべきでないものを保険している。現在の保険制度は大部分所得の(システマティックな)再分配装置になっているのだ。いったいなぜなのか。それは政府の規制である。

(続く)
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差別がないという地獄 その1

以下はHoppeのUncertainty and Its Exigencies: The Critical Role of Insurance in the Free Market(不確実性とその要件:自由市場における保険の決定的な役割)の翻訳(抄訳)である。

■保険とは何か

事前に「勝ち負け」がわからないのが保険であり、それは「非システマティックな」再分配制度といえる。誰も高い保険料を払って高リスクな人といっしょになりたくない。たとえば体を動かす必要がない大学の先生がプロのアメフトの選手といっしょの傷害保険には入りたくないだろう。もし自由市場にそんな「システマティックな」再分配を行う保険会社があればすぐにつぶれる。

民間保険会社はリスク度によって顧客をグループ分けし、適正な保険料をつける。彼らはそのためにあらゆる基準で差別を行う。たとえば災害保険なら地域的・地理的に、健康保険なら生物学的・遺伝学的にである。喫煙者かどうかなどライフスタイルが異なる場合や、職業によってリスク度が異なる場合にも差別する。

(続く)
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