アナルコ・キャピタリズム研究(仮)ブログ

★無政府資本主義 ◆リバタリアニズム ■色々 ▼ロンドン生活

スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

- | - | - |

無政府社会の児童保護企業

これは、蔵研也さんの「児童保護警察(NPO)が必要だ」をヒントに、児童虐待問題を題材にしながら、帰結主義(経済学的)リバタリアニズムがどういうものであるかを、はっきり示そうとした論考です。誰もが感情的に考えてしまう難問を、子供売買というタブーな比較を持ち出し、極端に勘定的に考察しながら、同時に無政府資本主義社会における多元的法制度のあり方を探った、ユニークな論考になっています。

1. 児童虐待を減らすために、子供売買を合法化しよう

蔵さんの記事「児童保護警察(NPO)が必要だ」で私は次のようにコメントした。

「僕の想像する自由社会では多額の寄付で成り立つボランタリーな児童保護エージェンシーが話し合い(金銭取引)によってこのような権利の対立を解決します。」

だがこれは結局のところ、はっきり言えば、子供の売買を自由化せよということだ。幼児の虐待死という悲惨なことが起きないようにするにはそれしかない。子を育てられなくなった親は養子縁組エージェントに頼む。金銭取引で皆幸せになる。 

通常、財は、金銭取引によって、それを低く評価する者の手から、それを高く評価する者の手に渡る。売り手と買い手の評価額に高低差があり、その差の中で、互いに利益のある価格がつく。

子を育てられなくなった親がいる。手がかかりすぎる、可愛くない、もともと欲しくなかったなど、育てる苦痛が喜びを上回るケースである。子供がもたらす利得が割に合わないと考える。子にはマイナスの評価額がついている。言い換えれば負の資産だ。このとき、子はかわいそうであり、親もかわいそうである。

私、養子縁組エージェントは金儲けを目論んでいる。育児相談あるいは子育て110番などと称し、広告を出す。「育児でお悩みではありませんか。お力になります。無料。」

私は一方で、子供が欲しい人を探している。長く不妊で悩む裕福な夫婦などを見つけたい。遺伝的つながりはなくていいから、育てる子供が欲しいという人たちである。またそういう人たちこそ、最もネグレクトをひどい、子供がかわいそうだと思う人たちだろう。

たとえ現実に「子供は売り買いするものではない」という強い社会的規範があるとしても、もしそれが禁止されていなければ、私は儲けるチャンスがあると思う。

ネグレクトをしそうな親から子供を買い取り、養子が欲しい人に売る。私はそれで生計を立てる。子供はネグレクトから救われる。

全員に利益がある。素晴らしい。これが自由市場だ。この話のポイントは、私が子供をネグレクトから守れば守るほど儲かるということにある。それは、私が強い経済的動機に突き動かされているという点で、他のどんな「非金銭的」子供保護制度よりうまくいくと考えられる。

2. 児童保護と権利の対立

私の言う子供売買自由化というのは、蔵さんの児童保護警察のアイデアを延長したものである。非営利の児童保護警察というのは、営利の養子縁組企業に行き着くだろう、もし親権に関する法律が金銭による譲渡を認めていれば。

児童保護NPOの重大な問題点は他人の家庭に踏み込むことにある。親からある種の権利を奪い取ろうとする。では彼らはシーシェパードのような強引なやり方で子供を守ろうとするだろうか。訴えられることも辞さないだろうか。

そうは思わない。彼らは話し合いによって、つまり金銭取引をもって解決にあたろうとするだろう。親権の買い取りである。それには資金がいるが、寄付に頼ろうというのではなく、すべて里親が支払うだろう。そこでは養子縁組エージェントが活躍する。

そもそもこれは現在の法的枠組みの中でどうにかできることなのかもしれない。だが、より物事をやりやすくするのはオープンなマーケットだ。民法を少し改正すれば、親権のやりとりを簡単に行なえるような市場が発達し、ネグレクトあるいは児童虐待は減るだろう。

3. 育児は重労働である

ネグレクト(育児放棄)はなぜ起きるのか。子育てが嫌になったから、世話をする余裕がなくなったから、あるいは他に優先することがあるから。

まず指摘すべきことは、育児は労働ということである。出産、あるいはセックスから続く女性の労働である。働くことが嫌になるのは何らおかしなことではない。喜び、報酬あるいは対価がなければなおさらである。

仕事には向き不向きもある。自分で育児ができない人は誰かにお金を払って任せるべきなのだ。ベビーシッターを雇う。また実際多くの人が保育園などに子供を預けている。

ネグレクトの大部分は貧しい家庭で起きていると考えられる。あるいは市場の機能不全である。規制などにより、諸々の育児代行業に不当に高い価格がついている。

貧困というのは政府の規制によって作り出される。豊かなリバタリアン社会ではまずネグレクトによる悲惨な事件など起きないだろう。

4. 子供売買は儲かるか

さて養子縁組業あるいは親権売買業というのは儲かるものだろうか。親権を売る親と買う里親の経済状態をどれだけ改善するかによる。またどれだけ事業が競争にさらされているかによる。

ネグレクトをする親は、育児をする余裕も能力もなければ、ベビーシッターを雇ったり保育園に預けるお金もない。また親に代わりに育ててもらうこともできない。要するに持てるリソースが乏しくて、子を育てることができない。あるいは育児をリソース消費の優先順位でホストクラブやパチンコより下においている。

このような親から子供を買い取るのは簡単なように思える。タダどころか、お金も少しいっしょにくれるかもしれない。きっと粗大ゴミや子猫と同じように思っているからだ。

次に買い手のインセンティブを考えてみよう。あるいはどういう子供に高い値段がつくだろうか。猫や中古車同様、血統や容姿、健康状態がよいものが好まれるだろう。だが実際市場に出回ってくるものの品質は、それ相当に悪いものに違いない。しょせん親が簡単に手放すようなものだからだ。

どのような人が買い手になるだろうか。お金を払ってまで他人の子供を育てたいという人はそうはいまい。仮にいたとしても支払い意思額は低いに違いない。

たぶん親権売買というのは儲からないビジネスである。

5. 企業家と経済的改善

こうして私は親権売買というのは儲からないだろうと考える。そしてだからこそ、親権売買を合法化したところで、ネグレクト防止についてほとんど効果はないと思う。

私の予想が正しいとすると、子供(親権)売買合法化は何の経済的改善ももたらさず、よって何の説得力もないことになる。

だが、世の中には、自由市場には優れた企業家がいる。彼は常人には思いつかない創意工夫で、中古車市場のようなビッグマーケットを開拓するかもしれない。そういう可能性があるからこそ、我々は子供売買を合法化しておかなければならないのだ。

政策の良し悪しは経済的改善につながるかどうかにある。何らかの弊害が起こるからといって、トータルで改善ならば、その政策は実行されるべきだ。私は子供売買合法化は改善をもたらすと思う。市場が優れた企業家を発見すると信じるからである。

だがあなたは私の考えに納得せず、児童虐待に対し市場は無力だと思うかもしれない。あるいはどんな自由化政策も、改善につながらず、改悪になる、つまりコストのほうが高くつくと考えるかもしれない。そしてまた同時に、政府の強制介入もデメリットのほうが多いと考えるかもしれない。

だったら答えは簡単だ。児童虐待は放置しよう、である。

6. 政策は効率がすべて

すべての問題はトレードオフである。何かを得るときは、何かをあきらめなければならない。

児童虐待問題の解決策として、失うものが得るものより大きいなら、それは採用されるべきでない。逆に、現状、うまい解決策が提示されないなら、状態は効率的なレベルにあると言うこともできる。

児童虐待は親が隠そうとしても大部分が外に漏れてくるものだと思う。誰にも発見されず、通報されない、あるいは子供が誰にも助けを求められないというのはマイナーなケースであり、そしてそれだけが実際に問題にされているのだと思う。だが一般に、細かいケース、難しいケースを扱おうとすると、費用に対し割が合わなくなる。

ここで指摘すべき重要な点は、政府というものはそういうことまでやってしまうということだ。というより、無駄に予算を使うインセンティブをもつのが政府だ。(このことは政府を全否定するのに十分な理由だと私は思っている。)民間企業なら割に合う範囲でしかしないし、それも色んな工夫を試みるのだが。

極端にいえば、児童虐待が行なわれていないかチェックするために、全家庭の内部をもれなく監視するということは、莫大な費用を要する。それは個人の自由を大きく奪うために、誰もが拒絶するだろうからだ。

それでも国家が子供を守るべきだという価値観をもつ人がいるかもしれない。だが多くの人を犠牲にする政策は、最も採用されるべきでない政策である。

7. リバタリアニズムと自由社会の法

リバタリアンに特に期待されていることは、いつでも、民間による、強制力を用いない解決法であると思う。そして、それがかなりの費用を伴うものであっても、得るもののほうが大きいならば、たとえ現実に実行するのが難しくても、提示する価値があると思う。

児童虐待問題に対する子供売買はそういう可能性の一つとして述べた。またより間接的な解決方法として、規制緩和と減税で育児サービス全般の価格を下げようと言うことができる。子育てを市場を通して皆で協力して行なうことをやりやすくする。他の間接的な方法としてはslumlordさんの示した児童労働合法化などがある。

リバタリアンとしてはまた、fuyushaさんのこの記事のように、(理想状態と考えられる)ピュアな無政府資本主義モデルから問題を考え、そこから現実のおかしな点を発見し指摘することも大いに有用なことだと思う。

さて最後に。子供売買というのは普通どんな社会でも禁じられている。だがそれは本当に禁止されるべきことなのだろうか。

仮にすべての人が子供売買禁止法が正しいもので、必要なものと思っているとしよう。それなら現状、政府はきちんと需要に応え、正しいことをやっていると言える。そうならまた、子供売買禁止法は、法が民間で多元的に作られる自由社会において、スタンダードな法として共通に採用されるだろう。

自由社会に子供売買禁止法はあるかどうか。それはわからない。市場が決める。ただ効率的な法が自由市場では生き残るだろうということである。

8. (補論)無政府資本主義社会における民間保護機関

蔵さんの児童保護警察のアイデアは一見リバタリアン的でないようにも見える。いったいアナルコキャピタリストは何を考えているのか?

完全なリバタリアン社会つまり無政府資本主義社会では民間警察どうしが対立する。

児童保護警察というものはNPOなりとして当然出てくるだろう。児童虐待は多くの人が良くないと考えるからである。そしてその中には(おそらく蔵さんのように)他人の子供であっても虐待から守れるならば、いくらかの出費を惜しまない人がけっこういるだろうからだ。

無政府資本主義社会はとてつもなく豊かな社会で、お金は有り余っている。たくさんの寄付が期待できる。児童保護NPOというのはかなりの規模で寄付を集められるだろう。

そうして私は次のコメントを書いた。

「僕の想像する自由社会では多額の寄付で成り立つボランタリーな児童保護エージェンシーが話し合い(金銭取引)によってこのような権利の対立を解決します。」

強引に子供を確保しようとして「警察沙汰」になるような激しい衝突は、費用ばかりかさむから、民間警察の好むところではない。より安い方法、おそらく金銭をもって解決するだろう。(だから親権が金銭で取り引きできるような法があるだろう。)

確かに無政府資本主義社会においては民間の保護機関どうしが対立する。でも民間企業だから、無駄な争いはしない。無駄遣いを好む政府組織とは違うのである。契約、話し合い、金銭によって効率的にそして平和的に物事を解決するだろう。(最後に解決されないとき、やはり民間の裁判所が判決を下す。)

保護機関や法が競争するリバタリアン社会というのは、大方の予想に反し、暴力がほとんど見られない社会である。

これがアナルコキャピタリストの思い描く予想図だ。
★無政府社会の児童保護企業 | comments(0) | trackbacks(0) |