アナルコ・キャピタリズム研究(仮)ブログ

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私がアナルコキャピタリストになるまで5

やがて自分でDDFの帰結主義無政府資本主義をシカゴ派経済学とともに紹介したくなった。それがアナルコ・キャピタリズム研究(仮)のサイトである。(もともとゲーム理論のサイトの中にあったが分離・独立した。)

一通りは書いたがとくに反響もなくしばらく放置していたが、先達であるLibertarianism@Japanで評価・紹介されたのをきっかけに、アナルコキャピタリストとしてのブログ的なものを書き始めるようになる。同時に再びリバタリアニズムへの理解を深めていくようになった。最近ではKyuuriさんやKuraさんだけでなく多くの日本のリバタリアン仲間をネットで見つけることができるようになった。

こうして今に至る。振り返ってみると、ネットとそれによる真に知的な人たちとの交流が私をアナルコキャピタリストにする決定的な役割をしている。リバタリアニズムはまだまだ認知度が低いが、それはこれまでまともに紹介・啓蒙されてこなかったからである。それにリバタリアニズムはあらゆる意味でインターネットと親和的でもあるし「現実的でない」と言われて簡単にあきらめ引き下がる思想ではない。私はアナルコ・キャピタリズムをライフワークとしてアマチュア研究者という立場から何か貢献できたらと思う。

(終わり)
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私がアナルコキャピタリストになるまで4

一方でインターネットが生活の中に浸透していた。ウェブサイトを作り何かを多くの人に伝えることが可能になっていた。ゲーム理論のサイトを開設したところ反響があり、どんどん充実させていくことになった。そこであの三原麗珠さんから教材として使いたいというメールを頂き、同時に彼のサイトを知った。

その非常に啓蒙的なサイトでリバタリアニズムというものの存在を知る。だが存在を知ったときには名前を知らないだけですでに私はシカゴ学派に影響されたリバタリアンであった。そしてそこで「社会科学を学ぶすべての学生に読んでほしい」と紹介されていたのがDavid D. Friedmanの The Machinery of Freedom なのである。

それからリバタリアニズムの勉強を始めた(同時に法と経済学も)。関連する本や海外のサイトにあたり、シカゴ以上に市場派なオーストリア学派(ロスバードのファロウワーたち)についても知るようになった。

(続く)
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私がアナルコキャピタリストになるまで3

大学入学後、生協の本屋で偶然『戦略的思考とは何か』という本を手に取りこれだと思った。高校の頃からギャンブル(に勝つ方法)に興味があって確率論が好きだったが、さらに広義の合理的意思決定論は私にとってすごく魅力的だった。これは有名なゲーム理論の本でその実践的・経営的応用が書かれてある。

だがそれからしばらくも経済学に関心はなかった。政治・経済への興味もなくなっていたし、初級のマクロ経済学の講義は全然理解できなかった(今でも理解できないが)。ただ経済学が何かを数学的に分析する学問でお金に関する学問であることから(いずれも一面的な見方だが)、いつしか現代経済の本を読むようになり、そこで運良く出会ったのが『ランチタイムの経済学』であった。これはミクロ経済理論を社会問題に適用し、常識とは異なった結論を出す本で非常に楽しく読んだことを憶えている。

それからはゲーム理論とミクロ経済学の勉強に没頭した。合理的個人の合理的意思決定論を学び、その頃からリバタリアンの下地は着実に作られていたが、未だ政治思想のようなものにはさっぱり関心がなかった。

(続く)
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私がアナルコキャピタリストになるまで2

中退未遂を繰り返しながら、なぜか高校3年の冬には精神科医になろうと思っていた。心理学周辺には興味があったが、官僚志望同様、エリート高校生にありがちなひどい勘違いである(もっともその「特殊学級」からは精神科医1名、警察官僚1名が出た)。

卒業時に出る年刊の学校誌があって生徒全員が何か一行書ける。私はそこにただ一言「すべて文部省が悪い」と書いて提出したのだが担任に変更を求められた。これは今考えても我ながら至言の一言だった。すでにその頃から反公教育・反政府的傾向と自由への欲求があった。

今書いていて思い出したのだが、いやすっかり忘れていたのだが、この前の都知事選で一躍ネットでヒーローになった外山恒一氏は高校の大先輩なのだ。彼の本は中退を考えていた頃読んだことがある。私は自由な校風で知られる高校に入ったものの全然違ったという外山さんと同じスタート地点から出発している。

(続く)

先輩(アナーキスト・ファシスト)


ついでに偉大な先輩(白紙弔辞編)
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私がアナルコキャピタリストになるまで

元東大生が文科幹部殺害予告というニュースを見て高校時代のことを思い出した。

中学の頃はあのソフトバンクの孫さんを輩出した有名な塾に通っていたが、同時に学校の不良仲間のなかでも一番ゲームセンターに通っていた私(メダルゲーム中毒)。最後の冬期講習に行かず、SEGAのWorld Derbyという競馬ゲームに熱中していた。

そんな私は地元の学区最難関校に当時新設された理数科に要領のよさ(ただの過去問研究だが)で合格してしまった。塾の先生をはじめ周りは信じられないという様子だった。

だがこのガリ勉(この言葉は今あるのか?)ばかりの特殊学級に入ったのが運の尽きだった。いやむしろ入った私が悪いのだが、すべてが合わない。中退を考えるようになる。一方でエリート高校生の勘違いで将来は東大に行って官僚になろうと思っていた。

現代政治の本を結構読んだ(大前研一の『平成維新』とかウォルフレンの『日本権力構造の謎』とか)。国際政治にも関心があった。私の中学高校時代はちょうど昭和天皇崩御、ベルリンの壁崩壊、バブル崩壊、ソ連崩壊、55年体制崩壊という激動の期間に一致していた。

(続く)
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