アナルコ・キャピタリズム研究(仮)ブログ

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▼ロンドン暮らし 

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Bond Street (2008年秋編)8

こうしていい家も見つかり、精神的にも肉体的にも健康を回復し、ネットも一応つながり、ようやく私は普通の生活を取り戻すことができた。

日本に帰る3月まで住んでいたフラットの大家であるBから電話があり近々会うことにした。彼は私と1ヶ月違いの同じ年でSOHOをやっているアキバ系中国系マレーシア人。日本のサブカル大好きで新婚旅行で行ったほど。かわいい奥さんは建築士。ただ彼はarchitectを秋田と発音するなどなかなか聞き取りにくいときがある。

昨年の10月、ちょうど1年前になるが彼のフラットに越してから本当に運が向き始めた。その頃初音ミクが登場し人気になっていて、これが最近日本のオタクの間で流行っているよと教えてあげたのだが、それからまもなく私は初音ミクよりかわいい女の子(本当)と出会い、12月のクリスマスの日には完全に結ばれていたのだ。またBと会って運が向いてくるかもしれない。いやまた奇跡が起こるかもしれない。またロンドンであの人と出会い、幸せになるのだ。

(終わり)
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Bond Street (2008年秋編)7

9月30日火曜日、私はやっと悲しく惨めなフラットを脱出することができた。新居はロンドンの半郊外にあるSudbury Hillというほとんど完全な住宅街で、駅から大きな公園を抜けてすぐの所に広いダブルルームを借りることができた。周辺はHarrowというロンドンで最も治安の良いとされるBorough(区)に属し、近くには公園や病院が多く、イートン校と並んで有名なパブリックスクールであるハロー校がある。

10月12日日曜日、歩いてHarrow-on-the-Hillまでゆっくり買い物に出かけた。カフェのテラスでイギリス流の朝食をとり、ぶらぶらと回った後、パブでハーフギネスを飲んだ。家にネットが付いていない(電話回線もない)ので当面の措置としてMobile Broadbandを購入することにした。3というプロバイダーのPay as you goで、1年で(たった)12GBの転送量制限。£100でUSBモデムとセットになっている。ただ混む時間帯は実際ナローバンドなのでそのうちVirginのケーブルにする予定。

ともかく私はこの場所がとても気に入った。周辺環境はもちろん、フラットは3階建てのきれいな家で、部屋と廊下には多くの絵が飾られている。階段には手すりがありホテルみたいだ。5部屋あるのに私ともう一人(物静かなウクライナ人)しか住んでいないので気楽で快適に生活している。大家さんは巨乳のブルガリア人美女(本当)で、頭がよく親切で信用できる人だ。

(続く)
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Bond Street (2008年秋編)6

9月28日日曜日、行き先を決めずにチューブに乗った。私はけっこう電車好きで、とりあえずロンドン地下鉄全線の全駅通過または下車をやってみようかと思ったのだ。適当に遠くまで安く行けるし、どの場所にどのような人たちが住んでいるか(主に人種、所得的な差異を見る)というのを車内あるいは駅周辺で安全に観察ができるし、全線について全駅名を憶えてそらで言えるようになったら一芸になるな、とか考えたのだ。

その日はとりあえずPiccadilly Lineで東の終点Cockfostersを目指した。まず下車したのはArsenalでEmirates Stadiumを見てきた。ちなみに私は巨大建造物好きでもある。次にSouthgateで降りた。以前に別の部署のKさん(長身の紳士)が住んでいると知っていたので見ておこうと思ったのだ。駅を出ると向こうから幸せそうな日本人家族が歩いてきたのだが、びっくりしたことにKさんたちだった。きれいな奥さんとかわいいお嬢さんを連れて買い物からの帰りらしかった。今度食事でもと電話番号を交換しその場は別れた。

WetherspoonがあったのでSunday Clubをランチにすることにした。ローストビーフとビールで£5.59。ロンドンでまともな外食が安くできて、雰囲気もよくデートにも使える所といったらWetherspoonだ。あの人と出会ったころよく行き、そのたびに口説いていた。近くに大きな公園があると聞いたので行って散歩した。ロンドン東北部であるが平和でいい町だなと思った。

Cockfostersから西の終点Heathrow行きに乗って折り返した。時間がまだ少しあったので今年完成したHeathrowのTerminal 5を見に行くことにした。S君によると007映画で最後に爆破されそうな建物ということだったが、それは確かに全面ガラス張りで無機質ながらんとした空間だった。

(続く)
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Bond Street (2008年秋編)5

Oさんと会った9月21日日曜日、LiちゃんとS君との3人でCentreを飲み歩いた。Liちゃんは通常の表記ではRiちゃんだが、パスポートセンターと掛け合って認めさせたほどのこだわりのLなのだ。某超高級日本食レストランで働く、ニューヨーク好きのリッチウーマン。頭がよくてすぐ好きになったが、なかなか会う機会がなく(あの人といっしょになってほとんどのプライベートタイムをあの人のために使っていたこともあって)これもまたついに実現したことだった。

MEWSというBond Streetの裏手のほうにある高級バーで一杯ずつ飲んだ。Sohoまで歩いてチャイナタウンのすぐそばにある、名前は忘れたが大きい木のあるたしか4階建てのパブでまた一杯ずつ飲んだ。最後はTottenhamまで行き、閉店間際の店でやはり一杯ずつ飲んだ。このペースで行けば月に12軒はパブめぐりができるねなどと話しながらLiちゃんと別れS君とともに最終電車へと急いだ。

(続く)
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Bond Street (2008年秋編)4

お湯は出ない、暖房はまともにきかない、仕事は休めない、部屋はリラックスできないという状況では治るものも治らないだろう。体調を崩して2週間経ち、ようやく風邪が治まろうとしていた。

S君の他にもう一人心の支えになってくれる人がいた。Oさんという年上だがかわいらしい女性。別の部署で働く、私がロンドンで初めてときめいた人だ。9月21日の日曜日彼女と会い、Sohoのパブで1時間ほど話した。彼女とは以前何回か食事の約束をしていたのだが、結局一度も実現することなく終わっていた。Oさんはきれいで性格がよいと誰でも思うような女性。こちらに来て彼女が既婚だと知ったときすごくがっかりした。

その日、私と友達になりたいからと言って彼女は自分がある病気であることを教えてくれた。甲状腺の病気で朝起きられなかったり急に体調が悪くなったりするという。実際以前に私との約束が何回か直前でキャンセルになったり、会社の集まりに体調が悪くて来られなかったりということがあったのだが初めて理由がわかった。

さらに、私があの人と幸せだったころ、Oさんは離婚していた。噂には聞いていたのだが、そのことも話してくれた。8年間いっしょにいた相手だという。ロンドンが耐えられなくなりOさんを一人残して日本に帰った。彼女はこちらに来て3年半だが、その間7回引っ越したという。自分はロンドンで呪われていると思ったそうだ。

彼女の話を聞くと、自分が置かれている悲惨な状況がまったくたいしたことないと思うぐらいだった。フラットのお湯が出ないことなどイギリスではざらだし、日本からこちらに来て最初の一ヶ月が大変なのも当たり前だった。あの人と別れ精神的に参っているというのを合わせ考えても、彼女の辛い経験の前には何でもないと思えた。

(続く)
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Bond Street (2008年秋編)3

部屋と会社から逃げ出す気だったのだ。だが行く当てはない。これは住む所と仕事がないことを意味する。しかしそれより前に体調不良がピークに達していた。9月14日日曜日、近くのB&Bに行き料金を聞いてみるが、フラットと比べると3倍の費用がかかることがわかった。歩き回り疲れ果ててその日はあきらめて部屋に戻った。

次の日の月曜日、肉体的・精神的にボロボロのまま出勤した。気力が奪われてまともに声が出ない。ただの風邪なのにインフルエンザあるいは肺炎を疑うほど精神的に弱りきっていた。こういうときの友人ほどありがたく思うものはない。親友のS君が私の体調や家のことを心配して電話をくれた。そのような友人がロンドンにいるというだけで心強いものだ。

S君は日本人だが、信じられないことに9歳でこちらの全寮制の学校に放り出され、以来イギリスで一人で暮らしてきた。私よりかなり年下だが、生きる力は私よりずっと上。年上の女性を好むが、やたら年下にもてるそうだ。もてる男というのはよく話し、まめな男であるということを彼から実際的に学んだ。私は無口でまめでない上、選り好みするのでもてない。

(続く)
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Bond Street (2008年秋編)2

ロンドンに戻って最初の1週間は元気に過ごした私だが、いろいろな悪条件が重なり次の週体調を崩してしまった。短期滞在のフラットのお湯が出ずあったかいシャワーが浴びられなくなった。おそらくそれが最大の要因、決定的な要因となってふだん滅多に引かない風邪を引いてしまった。(他の要因は8月の始めから続く物理的環境と精神的状況の激しい変化、その中でずっと体を休ませていなかったこと、こちらに来てから緑茶を十分に飲んでいなかったこと。)

風邪を引くことに慣れていないため、私は普通の人以上に動けなくなる。肉体的に悪くても精神的に良ければ動けるが、今の私は精神的にもろくなっておりろくに仕事ができなくなった。一方で最近の肉体的、物理的な余裕のなさが別の精神の余裕のなさを生んでいた。仕事が遅いのを上司にやる気がないのかと言われ、そうなら(まだこちらに来て間もないのに)やめろと言われた。

お湯が出ない上、ネズミとゴキブリが出るフラット。理不尽な要求ばかりしてくる上司。病気になっても身寄りのない外国で無茶な労働を強いる会社。ロンドンで出会い、自分の甲斐性なしから別れ、不幸にしてしまった今は日本にいるあの人。置かれた状況で精神は肉体を助けることができなくなった。将来のよい予想がまったく見えなくなった。

9月13日の土曜の夜、私は荷造りをしていた。

(続く)
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Bond Street (2008年秋編)1

ロンドンに戻ってきた。8月31日夜ヒースローへ着き、9月1日朝から出勤した。出発の前日寝ずに飛行機の中でずっと寝るという作戦が当たったのか、ほとんど時差ぼけがなく最初の1週間を過ごした。

9月7日最初の日曜日、Kilburnのパブで初めてGIGというのを楽しんだ。Nさんの彼がその場所で毎週するもので、Laちゃんの送別会をかねたものに招かれたのだ。Nさんはまず彼のファンになりそして付き合い始めたという。

私の好きなLaちゃんはフランス人の彼と沖縄に行くことになり、「チョー大好き」なロンドンを離れることになった。彼女は純粋な日本人だが名前はEric Claptonのその曲からとられた(カタカナ表記)。彼女も親御さん同様こちらのライブを動画にとってYoutubeにあげるような大の音楽好き。

洋楽に疎い自分はKeaneのSomewhere Only We Knowを彼女に教えてもらった。いつも「これ誰の曲?」と言ってラジオでかかる音楽の曲名とアーティスト名を聞いていたのだが、この曲は彼女も「最高」と評価する私のお気に入り。これを聞くたびにあの人(≠Laちゃん)といっしょに過ごした幸せだった日々を思い出す。

(続く)
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