アナルコ・キャピタリズム研究(仮)ブログ

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『無政府国家への道』紹介その13

第七章 無政府資本主義 より

・「もしある人が『保護』を望むならば、かれは市場でそれを手に入れるよう自身で手はずを整えることができる。誰であろうと、かれを『保護する』ために、かれの意に反して、かれに不当な支払いをさせる正当な理由はない。」(ライサンダー・スプーナー、The Constitution of No Authority

・モリナリによると、安全の生産は、他のあらゆる生産と同じように、自由競争の法則に従わなければならない。・・・地域的独占が安全産業において自然発生するだろうが、それは正義も効率性も脅かさないだろう。実際、各生産者は周囲の安全生産者による潜在的競争から自分の顧客を守ろうとするだろう。

・もし中世にさかのぼるなら、イギリスの商法の大部分は商人たちの私的な裁判所によって発展させられたものである、ということが認識される。同様に、海洋法、およびコモン・ローの大部分は「何よりも係争当事者が、問題の法律分野の専門家と認めて、勝手に助けを求めた私的な競争的裁判官たちの活動の成果」(ロスバード、Power and Market)であった。

・市場の自由かつ自生的な協力が生み出す制度の正確な図式やサービスの特徴は決して予測しえないが、自由市場の場合、誰かによってその価格が支払われる用意がある財貨・サービスは、常にそれを供給するために供給者が出現する、ということが知られている。国家不在の場合、警察の私的代理店や私的な刑事裁判所が市場に出現するだろう。ある企業は警察サービスと司法サービスを同時に供給するだろうし、またある企業は専門化するだろう。推測されうることは、犯罪に対する戦いの中に確実な利益を見出す保険会社がこの市場に参入してくるだろう、ということである。

・ロスバードによれば、他の保護サービス同様、国防も市場で供給される。外国の脅威を恐れる人は国内の脅威を恐れる人のように保護サービスを購入する。「外国」と「国内」に本質的な違いはない。国内の保険会社は自分の保障する場所を外国から防衛するだろう。さらに無政府資本主義社会は外国からの攻撃にさらされることが少ないだろう。その市民はいかなる国家とも同一視されないし、このような平和な社会を侵略することは得にならない。いったい政府を認めない社会をどのように統治するのか。そもそも私的な保護機関が展開するゲリラ戦に耐えられるのか。・・・たとえある保護機関が最終的に独占を手に入れ再び国家になったとしよう。だがこの自由の実験でわれわれが失うものはなく得するだけであろう。

(おわり)
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『無政府国家への道』紹介その12

第六章 国家の非効率性 より

・国家を合理的な行為者と考えること、すなわち北京、モスクワ、あるいはワシントンを一定の目標に従って行動する行為者として語ること、は人を欺くものである。国際関係の領域では、こうした巨大な国家機構は政治的ゲームや官僚的組織網に翻弄される。

・私的な組織の非柔軟性や非感応性は顧客や収入の消失によって、即座にしかもはっきりと、その組織に知らされる。状況を改めなければ、その組織は排除されるだけである。・・・だが、非効率的な私的組織が効率的な組織に取って代わられるのに、「顧客」と問題を起こしている国家はしばしば総動員令や戦争に逃げ場を見つけている。
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『無政府国家への道』紹介その11

第五章 人間の権利の再発見 より

・もし現代の民主主義国家が大憲章あるいは権利章典の全文を採用するならば、現行法の大多数は人間の権利を侵害するものとして告発されるであろう。

・社会的正義はその追求が専横につながる幻想である。

・出発点での運の平等を保証し始めるには、まず遺言の権利を廃止しなければならないだろう。次いで、教育の遺産のほうが財産の譲渡より重要であるため、子供の飼育――この言葉の選択は適切である――をはっきりと国家管理の下に置かねばならないだろう。まさにこれこそ、実は、社会的平等の大きな夢なのである。つまり、皆同じ方式で教育し、よく似た子供を育てるということである。

・平穏な市民を法の保護の外に置き、犯罪者に手を貸すというのが、火器の国家統制の実際の結果なのである。

・武器を所有・携帯する個人の権利を正当化する第一の根拠は、明らかに、警察が介入できない状況において犯罪者から自分を守る必要に関係している。誠実な市民にとって、火器は生命保険証書のようなものであり、その証書なしで済ますほうを好む人々がいるからといって、それは万人に火器を禁止する理由とはならない。第二の根拠は、もし必要になるならば、(外国の、あるいは自国の)国家の専制に抵抗する個人の権利にある。コモン・ローにおいては、武器を所有・携帯する自由人の権利は、元々、共通の権利をもつ犯罪者から自分を守ることの合法性、並びに専制的国家に抵抗する権利から生まれたものである。

・個人的な武器――とりわけリボルバーあるいはピストルのように隠すことができる武器――は個人的な独立と尊厳を究極的に保証するものである。
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『無政府国家への道』紹介その10

第四章 自由放任主義 より

・国家は物を統制すれば、それだけ人をも統制する。なぜなら、人は生きるために物を必要とするからである。

・19世紀の自由放任主義経済学者であるギュスタブ・ド・モリナリは、郵便・輸送・通信・文化・慈善・道路・教育および貨幣は民営化されねばならない、という考えを、しばしば鮮やかな語り口で擁護した。「イギリスの場合、道路は私人の掌中にあり」、その資金は通行料金によって調達されているが、「これほどよく整備された道路はどこにも見られない」とかれは書いた。

・国家は偽金作りである。近代の夜明けとともに、特にアムステルダムで私的な貨幣を制定するいくつかの試みが確かに見られたが、黎明期の国民国家の絶対主義によって、それらの試みはすぐに却下されてしまった。

・自由貨幣制度の場合、政府はもはや、貨幣を増やし、その価値を低下させることによって、赤字をまかなうことはできないだろう。

・保護貿易主義は横暴で、無益であり、不条理である。1876年のニューヨークの新聞の売り子について、モリナリは次のように述べた。すなわち、売り子たちは「靴の組合協定値段が国民の足よりもむしろ国内の皮革産業を保護したので、節約してはだしで歩いている」。

・経験はまた経済発展が自由と自由放任主義を仲介とすることを教えてくれる。国際援助と新興国の経済発展との間にはほとんどいかなる相関関係もないが、これに対して、現地政府の干渉とそれらの国の後進性との間には重要な相関関係が存在する。

・浪費という概念は主観的なものであり、ある人々の目には浪費と映るものも他の人々には有用であるだろう。各人はどうすることが自己の所有物の有効利用、あるいは浪費であるのかを決定する。浪費は主観的なもので、個人的独立の本質的な表現であり、称賛されねばならないであろう。

・ハイエクが主張するように、自由の価値は自由から生まれる思いがけない予測不能な行動の可能性にある。われわれには、自由の特定の制限がわれわれに何を失わせるか、めったにわからないだろう。
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『無政府国家への道』紹介その9

第三章 自由は秩序を生み出す(自由と権威) より

・社会主義者は自由と秩序、個人と社会を融和させることができない。かれらにとって、秩序、すなわち国家の目標は常に自由よりも優先するだろう。つまり、社会は常に個人よりも上位にあるだろう。

・国家に先立ち、国家に優先する法という考えは、自由の保護のための必要条件である。個人を集団的横暴から守るには、国民を非国有化しなければならないのと同様に、法を非国営化しなければならない。

(第三章おわり)
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『無政府国家への道』紹介その8

第三章 自由は秩序を生み出す(伝統と進歩) より

・国家の大望は人々の生活に絶えず大混乱を引き起こす。

・収容、それは強制された進歩である。(空港や高速道路)

・所有権と結びついて、無政府状態は伝統と進歩を融和させる。

(第三章つづく)
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『無政府国家への道』紹介その7

第三章 自由は秩序を生み出す(制限された国家) より

・もし国家が「公共財」を私企業よりもうまく供給することができると主張するなら、国家は市場の潜在的な、あるいは既存の競争を受け入れることによってそれを証明しなければならない。国家は自己の経済活動を私的競争から保護する権利をもたない。

(第三章つづく)
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『無政府国家への道』紹介その6

第三章 自由は秩序を生み出す(契約と団体) より

・個人主義は自発的な社会主義を認める。契約に基づく社会は(ノジックが述べているように)、合意している成人の間の資本主義的行為を禁じる社会主義社会とは正反対のものである。

・営利を目的とする(商事会社)にせよ、営利を目的としない(共済組合、文化団体、慈善機関、協同組合)にせよ、さまざまな形態をもってはいるが、自発的団体は財、世話、および協力行動の交換を制度化し、持続させる(個人の個人の)自由な契約にすぎない。

・自由社会においては、公民活動の大部分は共済・慈善・教育および経済協力の各種団体によって引き受けられている。「組織された」社会、すなわち国家によって管理された社会においては、国家は公民精神を社会化し、それを強制的な税金に置き換える。

・強制は一般に社会あるいは国家の水準でのみ、すなわち、法律上免れることができない拘束がすべての個人に課せられるときにのみ存在する。自由は、人々が契約による制約を自発的に自分に課すことを認める。

(第三章つづく)
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『無政府国家への道』紹介その5

第三章 自由は秩序を生み出す(法の優位) より

・法は秩序の維持に貢献するが、それは自由を保護することによってである。権力は万人と同じ規則に従わせられねばならない。(=「法の支配」の意味)

・法学者ダイシーは法の優位(法の支配)について古典的な定義を与えた。すなわち、「あらゆる恣意的権力、あらゆる特権、さらには政府が図る権力の拡大、とは反対に、現行法の絶対的な優先あるいは優越」。

・ハイエクによれば、アテネの法、ローマの法、中世の法にならって、コモンロー(慣習法)は人間の意思とは独立に存在する何か与えられたものが法である、と想定する。法は発明されるべきものではなく、社会の自生的秩序の中で発見されるべきものである。歴史はコモンローの有効性を証明している。われわれは主として、万民法、商人の法、および港や市のしきたりの平素の発展のなかに、開かれた社会を可能にしてきた法の進化段階を求めなければならない、とハイエクは言う。

・私的所有が不可欠であるのは、もしそれがなければ、個人の所有になる場所あるいは領分がないことから、個人的行動は絶えず衝突し合うからである。

(第三章つづく)
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『無政府国家への道』紹介その4

第三章 自由は秩序を生み出す(ハイエクと自動調整社会) より

・社会に分散している情報を最大限に利用するには、より賢明であると自称するある権威が個人に何をすべきかを命じる、という代わりに、各人は自由に自分の行動を自分自身の情報に基づかせることができる、ということが必要である。

・人間の制度(言語、貨幣、道徳規則、法など)はとりわけ試行錯誤の進化過程によって発展した。生き延びた制度(たとえば核家族)はこうして人間活動にとって最も有用なものであることがわかった。この種の進化が考慮に入れる要因の数と複雑さを考えると、進化の産物と同じように一般的に受容され、しかも効率的である新しい制度の全体を、意識的に設計することは不可能である。

・社会主義は社会を巨大な組織に変形しようとするものである。その場合、秩序は、自生的である代わりに、個人的目標を組織、すなわち国家、の目標に従属させてしまう。社会主義的秩序は自動調整的というよりも、むしろ権威主義的である。

(第三章つづく)
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