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2021.09.29.Wed
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戦国時代の堺は、町自体が独立した政権で、町には城のように高い城壁や深い堀があり、金で三好などの軍事兵を雇い入れ、あらゆる敵からの侵入を守った。諸外国からや日本中の貿易の圧倒的なる一大拠点で、南蛮や中国からの、珍しい品が溢れかえり、高級な海産物や食糧も日本で一番集まっていたのだ。(中略)当時のあらゆる方面への影響力として、堺という町は、まさに計り知れない巨大組織だったのだ。大金持ち集団とはいえ、ヒルズ族のような株的バブルなものではなく、どちらかといえば、戦後の独占的起業家タイプに近い。当時の信長の大軍に代表される烏合の衆の集まる権力集団でも決してないのだ。そんな誰にも屈しない気品の高い人達(会合衆)に、初めて無理やり頭を下げさせ、矢銭つまり税を徴収したのが信長だ。その信長のやり口が、凄まじさと緩和とが入り混じり実に巧妙である。足利義昭を奉じて京に上洛した信長は、まず自由国家である堺に、二万貫という多大な税を課した。しかし,当然の如く会合衆は大反対し、信長は八万の兵で堺に攻め込むと宣言する。
堺は「戦国時代」にはこの町を訪れたイエスズ会の伝道師達に「堺の町は、はなはだ広大にして富豪な商人が多数おり、ベニスの如く執政官により治められている。」といわしめ、さらに、「日本全国当地堺より安全な所なく、他の諸国において動乱あるも、この堺には勝者、敗者もなくこの堺に至れば、皆平和である」といっている。