ロンドン中で花火が炸裂している。こちらに来て2年ということになる。私は奇しくも11月5日に英国に降り立ったアナーキストだ。
1534年、個人的理由から
ローマ教皇庁と対立した
ヘンリー8世は、ローマ教皇に代わって自分がイギリス教会の首長であることを宣言する。
イングランド国教会の始まりである。
ヘンリー8世は従わない聖職者を処刑したり修道院の資産を没収したりした。
トマス・クロムウェルによるこの
国王至上法に反対したカトリック信徒
トマス・モアは
ロンドン塔に幽閉され、翌年処刑された。
ヘンリー8世の死後、
メアリー1世はイギリスをカトリックに戻すべく、プロテスタントに対する弾圧を行った。(
ブラッディ・マリーの由来。)続く
エリザベス1世は中道政策をとるも、彼女を排除しようとしていたカトリック派のスコットランド女王
メアリー・ステュアートの処刑を認める。スペインはこれを口実に無敵艦隊を英国に送り込む(1588年
アルマダの海戦)。
そのカトリックの殉教者とされるメアリーの息子が
ジェームズ1世である。母と同じカトリック信徒で期待されたが、1604年「主教なくして国王なし」という国教会優遇宣言はピューリタンのみならずカトリック信者も失望させた。
このような閉塞的状況で、貴族の
ロバート・ケイツビー(国教忌避者として危険人物とされたカトリック信徒)は前代未聞の陰謀を企てる。「国王を殺害するのみならず、国会議員の多数を占める国教徒、そして清教徒をも同時に殲滅して国会の機能を麻痺せしめ、代わって政権を掌握したカトリック教徒がイングランドに至福の王国を建設する」。
彼は熱烈なカトリック信者であり従軍経験から火薬の取り扱いに長けた
ガイ・フォークスを仲間とした。彼らは
ウェストミンスター宮殿近くにある、上院に隣接した家を借りることができた。ここからトンネルを掘り爆薬を仕掛けるという計画であった。
1605年11月5日、上院直下の地下室は36樽もの火薬で満たされていた。火薬には爆発の威力を増すため鉄や石が混ぜ込まれていた。この日議会の開院式に臨む国王ジェームズ1世は宮殿もろとも爆殺されるはずであった。
毎年11月5日が近づくとイギリスでは毎日が花火大会になる。この
火薬陰謀事件については誰もが知っているという。事件はまさにその日の未明に発覚し、ガイ・フォークスは逮捕された。以後1859年までこの日は法定の祝日となった。不人気だったジェームズ1世の自作自演説もあるという。
一方でスコットランドではガイ・フォークスは自由を求めて戦った英雄とされるそうだ。近未来のイギリスで全体主義の政府を破壊するため暗躍するアナーキスト"V"のモデル(
Vフォー・ヴェンデッタ)でもあるらしい。