アナルコ・キャピタリズム研究(仮)ブログ

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失われた20年と団塊ジュニア悲惨物語

失われた20年。日本は貧困国家への道をまっしぐらに進んでいる。分配するものがない。されるべき交換がされない。成長がなく、適切な資源配分が行われない。各種インセンティブが不正になり、お金が自由に正しく回らなくなっている。誰もが市場の外に行きたがっている、つまり公務員になりたがっている。あるいは起業をあきらめている。ソ連の崩壊経済、英国病と同じになっている。不自由市場が貧困な格差社会を作っている。

そこに来て経済左派の民主党が政権をとろうとしている。この失われた20年において、55年体制が崩壊し政治が迷走し社会党が政権に入ったりしたことは偶然なのだろうか。一方で一党独裁のシンガポールの経済は急成長しアジアの貿易・金融センターとなった。ここまで言うと私を自民党支持者と思うかもしれない。だが私はただの民主主義不支持者・アナルコキャピタリストである。(シンガポールは現在地上にある国では最も想像する無政府国家に近い。人民行動党を私有化・株式会社化・民営化することを考える。)

さて失われた20年において日本は優秀な団塊ジュニア世代をごっそり失ってしまったのが何より痛かった。この世代は相当に我慢強く従順であり日本企業への適性があったのに、長い氷河期に行われた異常な雇用調整によって不当にも市場から排除されてしまった。新卒で就職できなかったので職歴・経験がつかず、さらに年齢差別もあって「正規ルート」を閉ざされることになった。

団塊ジュニアは最悪ケースでは小学校から悲惨な競争地獄に巻き込まれた。最も出来た2人のクラスメイトは第1志望中学には敗れたがそれぞれ神奈川と大阪の有名中学に進んだ。どちらも校名に「光」がつく東大・京大進学校だ。しかし残念ながら10年後の同窓会ではそれぞれ東大落ち・京大落ちの大学生になっていた。浪人してもだめだった。そして浪人がマイナスになると見たのか、2人とも会計士・弁護士を目指してダブルスクールをしていた。ただどちらも適性がなかったようで、ようやく1人が合格者数が増えだした頃に会計士に合格した。

資格試験は大学院進学と並んで文系最上位の典型的脱落パターンとなった。大学のときから早めにこの経路に入った者はまだいいとして、一流企業への就職がかなわずこのパスへ進むことを余儀なくされた者は大変だった。何でも早期に適性を見つけてコミットしているやつにはかなわない。また彼らのラストリゾートとなった公務員試験はすでに激戦であった。いずれにせよ市場へ向かわないことは樹海へ向かうことである。親からすれば大変な資源の浪費であっただろう。このような競争地獄では運の要素が大きくなってくる。団塊ジュニアで自分の描いたパスに近いところを歩めている者は極めて稀であろう。

就職氷河期以降現在に至るまで、正社員かそうでないかが人生の分かれ目だというような風潮になった。派遣・フリーター・ニートに落ちていなければ勝ち組とされる。だがこれもまったく意味がわからない。日本企業は先進国では最悪の労働環境とされる。世界基準で言えば全部がブラック企業だ。なぜ過労死候補の正社員が勝ち組なのか。なぜ自由を徹底的に奪われる奴隷が勝ち組なのか。いや、そもそも働かない団塊・バブル社員ばかり残って一人の氷河期社員の負担は大きくなっている。他の先進国と比較したとき、日本ではよっぽどのホワイト企業しか勝ち組とは言えないだろう。日本企業に勤める人間のうちどれだけの人間が自分は奴隷ではないと言い切れるだろうか。

以下のkyuuriさんの文章は日本企業のブラック体質をうまく言い表している。

External options and liberty
http://libertarian.seesaa.net/article/119707060.html

<日本では、転職が困難であるために一度会社に入るとそこが運命共同体となるとしよう。それは抜け出すことのできない村社会のようなものだ。そこでは村八分にならないように努力するしかない。この環境では人間の奴隷的管理が容易になる。>

<日本の企業ではMBA留学などをしてきた人間をわざと飼い殺しにすることが多いというが、外部オプションを増やすような人間はすでに裏切り者候補者とみなされるのであろう。そこでは奴隷のように一所懸命に頑張ることが最大の美徳とされる。一所懸命でない人間は排除されいじめられる。>

<そもそも、こういう村社会的な外部オプションを意図的に狭めた社会は誰にとって都合がいいのであろうか。それは、共同体の中の外部オプションをもたないあまり優秀でない人間にとって都合がいいということが一つにある。このような奴隷化バイアスはより奴隷的な人間に顕著に働くというのも一種の経済合理性によるものである。つまりより奴隷的な人間が率先して、奴隷的な環境を強化しようとするわけだ。>

団塊ジュニアを始めとする大部分の氷河期世代にとって、結婚し子供を作り家庭を築き、親たちが送ってきたような人生を送ることなど夢のまた夢となった。せいぜい共働きで好きな人と結婚だけできればラッキー。子供は無理。これでは結婚の半分の意味しかない。子供を作るということは遺伝的に仕向けられているのにそれを実行できないというのはとても不幸なことだ。

氷河期はもう救われることはないのか?この異常な層は異常な層のまま、ただし高い死亡率により数を減らしながら、ずっと将来へ移動していく。とても恐ろしいことである。死ぬまでにまだ50年はある巨大な層が不幸になっている日本に未来はあるのか?現在のイギリスのように移民に多くを負担させる国になるのか?そうでなければゆとり世代以降の少子化世代が超高負担をする国になるのか?

すべては経済成長と社会の福祉度に応じて、つまりは社会の自由度に応じて、ぐだぐだに中途半端に陰鬱にバランスの中で決まっていくだろう。それが民主主義である。パンクすれば無政府資本主義社会の到来も期待できるが、暴力的共産革命より可能性は低い。「今、この今に極端な自由市場社会にせよ!」と言い残して私は外部オプション探しの旅に出る。
★貧困国家日本 | comments(4) | trackbacks(0) |