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貿易・移民を強く制限する民間保護機関はあるか?

hidetoxさん(analog)が移民自由化に関して社会福祉の問題をおっしゃっていた。実際に福祉は海外移住の価格:費用と価値に含まれる大きなものである。(もっともお金が取り上げられて誰かの利益になるということでは福祉は税金と同じである。)

福祉のために地方自治体を移動することがあるように国を移動することがあるだろう。現実に高福祉国では「受け入れ損」が起きたりする。日本では一部外国人は特権とすら言えるものを手に入れており、明らかに負担より受益が多い。

イギリスではどうか。私のエントリークリアランスには No recourse to public funds と書かれてある。また知人の外国人は永住権を得ているがやはりIDカードには福祉が受けられないとある。移民の福祉は制限されており、明らかに受益より負担が多い。

ある移民希望者にとっては受益と負担の差が移住の判断に関わってくる。そして「国の立場」からして受益より負担が多い場合にのみ移民の受け入れが是認されるだろう。(同時に国内の労働者保護ということで移民には制限が加えられる。)

さて移民自由化に関して私が言いたいのは移民とは貿易にすぎないということである。ただ交換を一つの国の中で行っているだけと考えるのである。そして貿易の利益とは取引の自由から得られる当事者の利益のことである。移民の利益についても同様である。そして現実世界では関税と輸入規制によって貿易が制限されているように、移民も制限されていると考える。

ところで貿易とは生産技術にすぎない。GMに競争で勝ったアメリカ人は小麦を日本車に変える技術をもっていたのである。これはデイビッド・フリードマンによる見事な説明だ。

貿易においても移民においてもすべての国民の利益・不利益の積み重ねが理想的な政策判断の根拠となる。関税の撤廃は国内生産者の所得を減らすが広く国内消費者の利益になる。これは日本車が禁止されたかわいそうなアメリカを想像してみればいい。GMはつぶれなかっただろうが。

何かを輸出したい人とそれを輸入したい人から見れば保護貿易は都合が悪い。これと同様に移住したい人と彼を受け入れたい人にとって移民制限は都合が悪い。世界の市場を一つと見るといずれの場合も資源配分を歪め全体のパイを小さくするものである。グローバルのパイが縮めば一国のパイも縮むはずである。

無政府資本主義社会でどうなるかを考えてみる。保護貿易や移民制限を行う保護エージェンシーはあるだろうか?顧客の失業率が増大したとき、極端な場合には「鎖国」してしまうだろうか?これは相当の強制を伴うことを意味する。自由は奪われ顧客の流出が起こるだろう。

無政府資本主義社会ではナショナリズムなエージェンシーやら高福祉実現を目指したエージェンシーが現れるだろう。そういう心情的な需要があるからである。人種差別も遺伝的傾向かもしれない。仮に低福祉社会だとしても移民を受け入れないというのはメリットも大きいだろう。摩擦が少なく治安のコストが下がったりするかもしれない。だがある程度まで成立はしても経済的自由のないエージェンシーがたいして繁栄するとは思えない。(もっとも自由市場ではそれをうまくやる企業家・経営者の出現を予想しなければならないが。)

無政府資本主義社会において、私は貿易や移民を含めあらゆる交換の自由があるエージェンシー(それはリバタリアン党といってもいいだろう)を選択し、他の利用者とともに豊かになっているだろう。そのエージェンシーでは顧客の需要に応えるということで政策が作られ、けっして民主主義のような非効率な仕組みをもたないだろう。

いずれにせよそれらのエージェンシーは市場で競争する。あるいは利潤を追求しないエージェンシーというのもあるだろう。棲み分けが行われつつ価格は低下する。生産者の競争が消費者の選択の幅を広げる。競争が自由をもたらすのである。
★民間保護機関の政治的競争 | comments(0) | trackbacks(0) |