無論汽車へは乗らない、馬車へも乗れない、滅多な交通機関を利用しようとすると、どこへ連れて行かれるか分らない。この広い倫敦を蜘蛛手十字に往来する汽車も馬車も電気鉄道も鋼条鉄道も余には何らの便宜をも与える事が出来なかった。
夏目漱石『倫敦塔』より
漱石はロンドンで5つのフラットを移り住んだ。期間と場所は次の通りである。
1. Goodge Street (1900年10月〜1900年11月)
2. West Hampstead (1900年11月〜1900年12月)
3. Oval (1900年12月〜1901年4月)
4. Tooting Broadway (1901年4月〜1901年7月)
5. Clapham Common (1901年7月〜1902年12月)
(情報元:
倫敦漱石記念館HP)
このように大部分を南ロンドンの
City and South London Railway沿いで過ごした。現在の
Northern Lineであるが、当時はまだTooting Broadwayまで延伸されていない。よって4番目のフラットは周辺に何もなく「ツマラヌ処」だったが、このときのフラットメイトが後に味の素を発明する化学者・
池田菊苗であった。最後のフラットで長く引きこもり、精神を病んだとされ文部省から帰国命令が出る。
A train at Borough Junction on the City and South London Railway
(
London Transport Museumより)
Clapham Common:1900年開業以来の狭いホーム
(
Wikipediaより)
新オリエント特急:ロンドンの漱石 西欧幻想捨て文豪の土壌育つ
http://www.nishinippon.co.jp/media/.../olient5.html