アナルコ・キャピタリズム研究(仮)ブログ

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経済学的?リバタリアン的?英語の理にかなった学び方

世の中には実に色々な英語勉強法の提案があるものだと思う。同時になんで日本人はこんなに熱心に英語を勉強するのかとも思う。

1.「特定の教材を薦める」。芸はないが安易で、いつでもどこでもよく見られる提案である。自己の経験に基づいており、説得力がある。もしそれがベストセラーでもあるなら、自分の評判を下げないですむ、とても保険の効いた提案である。だが多くの場合、彼自身の口からその理論的根拠を聞くことはない。私は市場における評判を尊重する。だがこのような特定の教材を薦める提案はすべて却下したい。特定の教材は多くがそれ自体学習方法の制限・強制を伴うというのがその主な理由である。

2.「効率性」をうたった教材。出現頻度の高い英語をとにかく一つに詰め込む。1と関連して中には一般の人に大学受験で使うような教材を薦める変わった人もいる。この手の提案の最大の問題は、それ自体が高機能栄養食品のようになり、最高効率だが楽しくないトレーニングというふうになって英語への興味が変質してしまうことである。それは学校の受験勉強と同じであり、独学なら相当の自己コンロールが要求されることになる。いずれの場合もネガティブな「スパルタ式」へつながっていく危険性をもっている。「丸暗記式」は効率的学習法として知られるが、何をどうやってという部分に不確実性・リスクを伴う。

3.「科学性」をうたったもの。(日本の学校教育では弱くなることがわかっている)リスニング・スピーキングの教材でよく見られる。「いつのまにか」という文句といっしょであることが多い。努力なしに身につけられそうでそそるものがある。この提案のポイントはそれが強制ならぬ「矯正」を伴うということである。脳が反応するようにしたり口の筋肉の改造を試みたりする。難解であるが補助的にフォネティクス(音声学)を学んでみるのはいいかもしれない。正しい発音を身につけると聞き取りもできるようになるとされる。なお独学で最も失われる訓練はまず間違いなくスピーキングである

ただ個人的には聞き取れさえすれば発音は日本語なまりでいいじゃないというスタンスだ。いろんな英語があっていい派、というより現実にそうであるという認識が必要だ。もっとも日本語なまりは話者の少なさから不利なので標準発音をマスターするに越したことはない。やはりそれでリスニング力は上がるし、よく聞き取ることを繰り返すことによってまたスピーキングはよくなる。互いに相乗効果をもっている。

究極的にはリーディング・ライティングを含めた4つの能力はすべて同じルート(根)をもっていて、すべて互いに相乗効果の関係にある。また「英語で考える」というノンネイティブの究極に達するとき、ライティング力・スピーキング力は相当なものになっているだろう。

以上巷の英語学習法を経済学的・戦略的視点から概観してみた。

以下では自分の考える英語学習理論を述べてみる。

そもそも実行困難なだけで英語の身につけ方はわかっているのである。英語圏で生まれる、ネイティブの親をもつ、英語圏で育つ、英語圏で暮らす、英語圏の学校に行く、ネイティブの友人をもつ、恋人ならなお良し。だが実際には時空を曲げることはできないし、経済的制約がある。

ここからまずそれに擬似的な環境を低コストで作るということが出てくる。たとえば私は高校生のときテレビのニュースやスポーツ・映画を副音声で見ていた。FENも入らない地域なので昔はそれぐらいしかできなかった。あとは洋楽を少し聴くぐらい。洋書は高かった。たしか高校の終わりごろにケーブルテレビが入って海外番組が見られるようになったが時すでに遅しだった。

ところが今では衛星放送やインターネットでどういう環境でも作れる。CNNやBBCあるいは海外のネットラジオをつけっぱなしにできる。ウェブサイトは見放題。洋書や洋楽をはじめ海外のコンテンツは何でも安く手に入る。情報技術によって海を越えたメールやチャット、掲示板やブログ、SNSといった様々なコミュニケーションが可能になった。ブロードバンドでは映像つきの無料ネット電話さえできる。また高機能なモバイル機器も手に入る。今は英会話スクールが学習投資対象として効率が悪くなっているほどの大情報交換時代なのである。

さて擬似的環境は整ったとする。次に重要なのが学習を好きなものと結びつけるということである。環境をあなたの好きなものにする。あるいは嫌いなものと結びつけないということである。これが決定的に大事な点であり、とるべきスタート方法、また最終的に方法の良し悪しを判断する基準になる。これは自然、すなわち不快なものは受け入れないだろうという人間の脳の特性に基づいている。これはまた学習の負担・コストを下げることであり、効率を高めることである。

とにかく英語の勉強を好きなこと・興味あることに結びつける。自分の趣味の分野について英語で情報収集するのは学習効率がいい。またその英語が感覚的に合うかも重要である。たとえばラジオを聞くにしても好きな声のアナウンサーを選ぶ。教養があるとされても思想が合わなければ別の番組に変える。気持ちいい声で話してくれる若くてかわいい女の子がきっと最高だろう。広い意味でくるくるチャンネルを回して自分にスムーズに入ってくるものを見つけるのである。これらのことの効率の良さは逆、つまり嫌いなもの・興味のないものでだらだらやることの効率の悪さを考えるとはっきりするだろう。

擬似のメリットはリアルと違ってその環境を好みに応じて容易に調整することができるということだ。なおその補完的テクニックとしては、選択ができつつも英語が強制される環境に身をおくこと(コミットメント)を意識する、好きでないことなら何かの利益と結びつけることを意識する、飽き(心地よい刺激の反復による低下)が来ないよう常にオプションの準備を心がける、自分の目標・適性・レベルに合わせるといったことが挙げられる。

以上のことは英語だけでなく一般的な学習・トレーニング理論にも通じるものであろう。むしろ今後の自分への戒め・覚え書きとして書いた。

さていったいなんで英語を勉強するのか。それは外部オプションを増やすためである。行動の選択肢を増やす。内部の相手に対して力(交渉力)を持つ。村社会の奴隷から解放される。自由になるということである。高校生の私はなんとなくこれがわかっていたので英語を優先的に勉強した。大学受験で重要であるとか社会に出て役立つとかいう以上の意味を感じていた。

私が唯一残念だったのは海外大学への進学を視野に入れられなかったことである。さらに正解を言うなら、高校が合わないと思い中退を考えたとき渡米すればよかった。しかしそういう考えを持つに至るための情報を持っていなかった。

ただ情報がないために自分で可能性を切っていたのである。情報を入手する手段もなかった。情報は自由の重大な源泉である。したがって情報を得る(広義の)情報技術が重要である。情報技術とそれによる情報入手が人間を奴隷的状態から解放するのである。

日本の欠陥英語教育は海外脱出(進学・就職・その他)という外部オプションを国民からなくすためだというリバタリアン好みの陰謀論がある。日本の北朝鮮的側面だ。英語は自由のための情報技術と見ることもできる。

以上記事の内容すべて昔の未来ある若い自分に教えてあげたいことである。
◆自由のための情報技術(英語習得について) | comments(2) | trackbacks(0) |