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リバタリアンはまともな保守を支持する(1)道徳の押し付けはだめ

アダム・スミスやハイエク、ミーゼス、ポパーといった保守の先人たちはリバタリアニズムの系譜の中にも入れられる人たちです。

このシリーズでは保守とリバタリアニズムの共通点・親和性について調べていきたいと思います。保守の主張のうちリバタリアンが支持できるものは多くあると思います。同時に相容れないものもまた多くあるでしょう。

このサーベイ(といってもほとんどがコピペになる予定ですが)により、保守とは何かということが、ある一つの角度から明らかにできると思います。

第1回目は蔵さんの著作『リバタリアン宣言』からの引用です(強調はanacap、以降同様)。すでに結論は出ています。

さてそれでは話をもっと具体的にして、アメリカにもっとも数多く存在する実際のリバタリアンたちはどのような私生活上の主張をしているのでしょうか。アメリカの保守的自由主義のシンクタンクとして有名なケイトー・インスティテュート(Cato Institute)や、リーズン財団の発行するリーズン・マガジンなどにおける典型的な見解をみてみましょう。

それらは、ほとんどが保守的、かつ常識的な道徳律であるといえるものです。いわく、売買春は倫理的にのぞましくない、離婚は子どもに悪影響を与えるからのぞましくない、未婚の母は子どもの福祉の観点からみてのぞましくない、地域コミュニティ活動は積極的に参加するべきだ、青少年の健全な育成のためには大人が率先して模範を示すべきだ、ギャンブルなどの賭け事は基本的にはのぞましくない、などなど。

まったく一見すると保守主義的主張のオンパレードです。

くりかえしになりますが、彼らのような多くのリバタリアンとその他の多くのクニガキチントの保守主義者をわけるのは、これらの本来個人的な道徳律を政府を通じた強制力を使って、それを価値だと思わない人にまで押し付けるのかどうかという点なのです。

いうまでもなく、私はリバタリアンのほうが、政府による押し付けを当然視するほとんどの人たちよりも、はるかに道徳的に優れているのだと思っています。先に述べたような保守的な道徳律のすべてを受け入れる必要などまったくありません。自分の意見が正しいと思うのなら、人に政府を使って強制するべきではなく、表現や行動で説得すべきなのです。

蔵研也『リバタリアン宣言』第3章リバタリアンの倫理
http://www.gifu.shotoku.ac.jp/kkura/manifest3.htm
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