アナルコ・キャピタリズム研究(仮)ブログ

★無政府資本主義 ◆リバタリアニズム ■色々 ▼ロンドン生活

スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

- | - | - |

リバタリアンはまともな保守を支持する(13)ロナルド・レーガン

・ロナルド・ウィルソン・レーガン(Ronald Wilson Reagan, 1911年2月6日 - 2004年6月5日)は、アメリカ合衆国の俳優、政治家。第40代アメリカ合衆国大統領。

・政府と取引が多い電機メーカーのゼネラル・エレクトリック (GE) 社に雇われたのは、反共産主義のスピーチをラジオ放送上で行ったからであると言われる。

・その後行われた1964年の大統領選挙では、レーガンは小さな政府を唱えるアリゾナ州選出の上院議員バリー・ゴールドウォーターの熱烈な支持者だった。

・彼はGEがタービンを納めているテネシー川流域開発公社に反対してテレビ番組 ジェネラル・エレクトリック・シアターのパーソナリティをクビになった。

・レーガンの自由主義者としての顔は、カリフォルニア州知事時代に行った政策にも如実に現れている。例えば、州議会を「バイクに乗る際、ヘルメットの着用を義務付ける」という法案が通過した際、レーガンは州知事権限でこれを取り消した。その理由は「バイクに乗る者は、バイクに乗るという行為がどれだけ危険かわかって乗っているはずだ。ならば、ヘルメットの着用などということは個人に任せるべきであって、それに州政府が関与する必要はない」というものだった。

・レーガンは就任後、それまでの需要中心の政策ではなく、供給力強化を目的としたレーガノミックスと呼ばれる一連の経済政策を発表した。

デタントを否定し、ソ連を「悪の帝国」と名指しで非難。替わりに「力による平和」と呼ばれる一連の外交戦略でソ連と真っ向から対抗する道を選んだ。

「レーガン・ドクトリン」によって地道に支援されてきた東欧の反共産主義運動は、モスクワの屋台骨が揺らぎ始めると、1989年8月、ハンガリー政府当局が約1000人の東ドイツ国民を自国経由でオーストリアに脱出する手助けをするという「ピクニック事件」が起きたのを皮切りに、11月にはドイツでベルリンの壁が崩壊し、チェコスロバキアではビロード革命が共産党による一党独裁を廃止、12月にはブルガリアの共産党政権が崩壊し、ルーマニアではチャウシェスク独裁政権を血祭りにあげるなど、東欧諸国は雪崩を打って民主化を果たし、ここに冷戦は事実上終結した。ソビエト連邦が解体されたのは、それから2年後のことだった。

ロナルド・レーガン - Wikipedia

・レーガノミックス(Reaganomics)とは、レーガン大統領がとった一連の経済政策である。

・この政策群の理想的展開は、「富裕層の減税による貯蓄の増加と労働意欲の向上、企業減税と規制緩和により投資が促され供給力が向上する。経済成長の回復で歳入が増加し税率低下による歳入低下を補い歳入を増加させると共に、福祉予算を抑制して歳出を削減する。インフレーションは金融政策により抑制されるので歳出への制約は低下する。結果、歳出配分を軍事支出に転換し強いアメリカが復活する。」というものである。

レーガノミックス - Wikipedia
◆リバタリアンはまともな保守を支持する | comments(0) | trackbacks(0) |

リバタリアンはまともな保守を支持する(12)マーガレット・サッチャー

・マーガレット・ヒルダ・サッチャー(1925年-)は、イギリスの政治家。

・女性として初めて保守党党首および英国首相(在任:1979年 - 1990年)となった。現在は貴族院議員。保守的で強硬的な性格から、鉄の女(the Iron Lady)、アッティラ(Attila the Hun)などの異名をとる。尊敬する政治家は同国のウィンストン・チャーチル元首相である。

・大学時代にはフリードリッヒ・ハイエクに傾倒し、このことは後の新自由主義的な経済改革・サッチャリズムの原点となる。

・保守党に属し、1970年からはヒース内閣の教育科学相を務める。このとき教育関連予算を削減する必要に迫られ、学校における牛乳の無償配給を廃止をし、抗議の嵐を巻き起こし「ミルク泥棒」と呼ばれた。

1979年の総選挙では、イギリス経済の復活と小さな政府の実現を公約として保守党を勝利に導き、女性として初めてイギリス首相に就任。そして、市場原理と起業家精神を重視し、政府の経済的介入を抑制する政策を取った。こうした政治姿勢は新自由主義(ネオリベラリズム)あるいは新保守主義と呼ばれ、理論的には、ハイエクやフリードマンの経済学を背景としていると言われる。

・新自由主義の立場に基づき、サッチャーは、電話会社(1984年)やガス会社(1986年)、空港(1986年)、航空会社(1987年)、水道事業(1990年)などの各種国有企業の民営化や規制緩和、金融改革などを断行。また、改革の障害となっていた労働組合の影響力を取り除く政策を多く打ち出した。さらに、所得税は25%〜80%の11段階から、25%と40%の2段階へ、法人税は50%から35%へ、それぞれ段階的に大きく引き下げられた。一方で、付加価値税(消費税)は、8%から15%まで大胆に引き上げられた(1979年)。

・1980年に選出されたアメリカ合衆国大統領のロナルド・レーガンも新自由主義的な政策を数多く打ち出した。さらに、カナダでも、1984年に選出されたマルルーニー首相は保守派であったため、80年代はアングロサクソン各国において新自由主義が支配する時代となる。また、この時期、日本においても、1982年に誕生した中曽根内閣によって、行政改革や国鉄分割民営化(1987年)などが行われた。

・サッチャーの強硬策の一環と捉えられているが、フォークランド諸島の奪還により、イギリス国内での評価は高い。この際に、「人命に代えてでも我が英国領土を守らなければならない。なぜならば国際法が力の行使に打ち勝たねばならないからである」(領土とは国家そのものであり、その国家なくしては国民の生命・財産の存在する根拠が失われるという意)と発言した。経済の低迷から支持低下に悩まされていたサッチャーは、戦争終結後「我々は決して後戻りはしないのです!」と力強く宣言、支持率は驚異の73%を記録する。彼女はこれで二度目の総選挙にも勝利し、より保守的でラディカルな経済改革を断行してゆく。

お金持ちを貧乏にしても、貧乏な人はお金持ちになりません。

・あなたの旗は赤旗でしょう? わたしの旗はユニオンジャックです。

社会というものはありません。あるのは個人と家庭だけです。

マーガレット・サッチャー - Wikipedia

私の仕事は英国が共産主義に向かうのを防ぐことです。

マーガレット・サッチャー - Wikiquote
◆リバタリアンはまともな保守を支持する | comments(0) | trackbacks(0) |